CFOの矜持

 

先日、友人がSNSを通じてある記事を紹介してくれました。

 

6ヶ月後に会社が潰れるのが確実になった時、ベンチャー企業のCFOがやるべきこと 【とあるCFOの独白】

 

記事を書いた方が経験を共有して下さったことに感謝と敬意を表すと共に、中小企業の社外CFO的な立場に居る私にとって、思うところ多々ある記事でした。

 

私は数年前、取締役を事実上解任されたことがあります。

 

ベンチャーのステージを過ぎた、年商数十億の同族企業で起きたことです。とある事情でやり手創業者オーナーから親族に経営をバトンタッチせざるを得ない事となったその会社で、当初私は資金繰りサポートの為にパートタイムで関わったものの、業績の落ち込みと共に関与を増し、ついには取締役となってターンアラウンドを実現する、という役割を担うことになりました。

 

返済条件緩和を伴う資金繰りと銀行折衝、部門別会計の構築と運用、KPIの設定、元帳の洗い出しから削減すべき経費の特定などのCFO業務に加え、意思決定方法や情報伝達方法も変更。又、経営陣と現場との間に距離を感じた私は、現場で何が起きているか、最前線の従業員がどんなマインドで働いているかを知る為に、一人30分~1時間、トータル34日かけてパートの方も含め全員と面談しました。ベクトルを合わせる事を主眼に、賞与の査定表や社内報の作成、拠点長会議のファシリテーション、全従業員が参加する総会のプロデュースまでも行い、現場のグリップ感も感じながら、CFOという立場を超えて、参謀役として一つ一つ着実に物事を変えていきました。

 

会社の待ったなしの状況に突き動かされつつ、その経営状況への解釈に私とは温度差がある親族経営者との間合いも意識しながら、彼らにとって単に耳が痛い話だけでなく、襟を正すだとか、身を削る様な話も俎上に乗せ…。仕事に対するやりがい、身に着けた事を発揮できる環境の有難さと共に、親族経営者に対する「じれったさ」も感じていました。

 

そんな中、思いもよらぬ事件がおこりました。役員会の席で、同席した弁護士から開口一番、「辞任せよ」という通告を受けたのです。親族経営者からの働きかけによる言葉なのは明らかでした。

 

推察するに、やはり会社を立て直す為に親族経営者に提示した「自身の身を切る」ということの必要性を、腹の底からは理解してもらえていなかったのでしょう。これについては勿論、私自身の説明能力の乏しさ、物事を進める際の感情面への配慮が不十分だったこと、は否めません。しかし、身を切る事自体、あの状況下では避けて通れない道でした。

 

・・・自分は何に従って仕事をしてきたのか。「会社の為に」よかれと思った事をつらぬいてきた。たとえそれが「経営者一族の為」ではなくても、自分の判断軸に従って、「会社の為」と思えることは率先してやってきた。「会社」とは、ステークホルダーのバランス、つまり株主や経営者に限らず、顧客、取引先、債権者、従業員の為でもある・・・。

 

ここで、「この顧問先を離れるのか、頭を下げて残るのか」という選択が生じます。

頭を下げれば引き続き仕事ができ、収入も継続する。しかしそれは、CFOとしての自分の軸を曲げる事にもなるし、仕事の仕方も変えなければならない。業績改善の実現性も遠のく。果たして…。

 

「根底の思いや姿勢がこうも違う経営陣とは、長くは一緒に働けない」「しかし、今まで報酬をもらっていた恩もある」「いやいや、それ以上の価値は絶対に提供してきた自負はある」「従業員の期待を裏切るのはツライ」…

 

色んな思いが交錯した中で学んだことは「誰と仕事するかは、本当に大事」という事。

 

CFOの立場では、必ずと言ってよいほど経営者と衝突する場面に遭遇します。私自身、CFOとして、意見が相違した場合の判断基準について頭を巡らせてきました。ずっと疑問に思い、本を読み、ディスカッションし、質問をぶつけようやくたどり着いた私自身の解は、「経営者が事業を通じて作りたい/変えたいと思っている世界に賛同できるかどうか」「それに沿った意思決定がされているかどうか」という事です。

 

経営上の一つ一つの意思決定は、北極星を目印にして航海する舟のオールを漕ぐようなもの。同じ舟に乗り、同じゴールを目指している限り、その中での衝突は乗り越えられるのだと信じます。会社の進路を誰よりも数字で理解しているCFOにとって、舵取りがこれに大きく反することが明らかな場合は、CFOは全力で経営者を止めることになるのだと、私自身は考えます。そして、進みたい方向に賛同できない場合、CFOは舟を降りるべき。そもそも、その舟に乗ってはいけない。そう思います。

 

その会社の親族経営者と、方向性、もっと言えば世界観を共有できていなかった私は、結局、「乗る舟を間違えた」という思いと、「本当に力のある人ならば、こんな環境でも会社を変えられるハズ」という自分自身の実力不足も感じながら、志半ばで結局辞任を決意。このままこの体制のこの立場で努力しても、たぶん成果は上げられない。従業員には申し訳ないが、全てを得られるワケでない…。そうした忸怩たる思いで、会社を去ることになりました。

 

経営者が何を重視し、どんな世界をつくろうとしていて、そのために何を犠牲にしても良いと思っているか。どんな優先順位なのか。財産や収入、メンツ、社会的地位、、、。いよいよという場面では、このあたりが見え隠れします。勿論、方法論での意見の相違は茶飯事ですが、ギリギリの局面における意思決定では、世界観を握れているかどうかがカギになる。そういうことを再認識させてくれた記事でした。

 

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コメント: 2
  • #1

    Aida (土曜日, 29 4月 2017 08:25)

    読みました!

    他人/他組織の支援をする、というのは報酬を得たり、感謝されたりというプラスの面と、相手の期待値と違っていたり、意に沿わない支援/助言をしてお払い箱にになる、というリスクの両方がありますね。よく判ります。

    その中で方向性、目標、目的、志、夢、いろいろありますが、ある種の基本部分の合致がないと、難しい局面を乗り越えられない点も同意です。その意味で下記は本当に大事ですね。

    >誰と仕事するかは、本当に大事

    こちらは以前プロボノで関わった長浜さんの最近のBlog内容です。参考までに。
    https://publico.jp/nagahama/1869/

  • #2

    日高 義雄 (月曜日, 08 5月 2017 14:56)

    Aidaさん、コメントありがとうございます。

    他者の支援をするという点、ご紹介頂いたリンクにもありましたが、
    専門スキルは当然ながら、ソフト面のスキル、マインドなどの占める割合が非常に大きい様な印象です。

    クライアントと協同する中で、例えばどこまでお伝えするかという様な、
    「関係性」に関わる部分に難しさを感じることがままありますが、
    ご紹介のリンクはその点、示唆に富みますね。
    ありがとうございました。

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